(前の記事の続き)奥三河の病院の往診は、山間や畑の中に点在する家を訪ねて寝たきりのお年寄りを診察するのですが、殆どの患者さんは「no change(変化なし)」の所見です。看護師さん(当時は看護婦さんと呼んでいました)が注射や点滴をした後で、お茶やお菓子を頂きながら家族と一緒に病気の話や世間話などして、いつも忙しい診療に追われる大学病院や都会の大病院の勤務からは想像もつかないくらいにのどかなものでした。
雑談の時間の方が診察時間よりも長いくらいでしたが、実は患者さんも家族も雑談の方を楽しみにしていたのかも知れません。私自身は実家や親戚が旧い家で、幼少時からお年寄りに囲まれて育ったせいか、お年寄りにはいつも自分の祖父母のような親近感を感じていました。
そんな私の気持ちが伝わるのか、赴任先やアルバイトで勤めた色々な病院で、当時若くて孫のような私を大変に気に入って可愛がって(?)くれて、私の外来は沢山のお年寄りでいつも込み合っていたものです。何故かお爺さんよりもお婆さんの方が多かったのは、私が母方の実家のお婆ちゃん子だったせいか、、それとも女性の方が男性よりも平均寿命が長かったためか、、、
当時の往診患者さんの中でよく憶えているのは僧帽弁狭窄症という病気のお婆さんでした。心臓弁膜症で根本的には手術が必要ですが、お歳もあり当時は内科的な治療が一般的で寝たり起きたりの生活を送ってみえました。お爺さんが献身的に世話をしていてとても仲のよい微笑ましいご夫婦で、私も往診が楽しみでしたが、「この間は野猿の群れ(やっぱり!)が畑を荒らしに来て怖かった」とか離れて暮らしているお子さん達のお話などをよく聞きました。
私の大学病院の勤務変更で、最後の日となった往診に行くと、お二人が目を真っ赤にして別れを惜しんでくれました。私も思わずもらい泣きしそうになりましたが、「またいつの日にかこちらへ来る機会には必ず特別に往診しますからね。」と言ってお別れしました。その後何年か経って奥三河へ行く機会があったのですが、残念ながらすでに約束を果たすことは出来ませんでした。