奥三河の病院の院長は、岐阜大学第2内科(循環器科)の私の先輩で、気さくで飾らないTVドラマの無医村の医師Drコトー(ちょっと違うかな?)という雰囲気の先生でした。そうすると私の役は大学から派遣された血気盛んなまだまだ経験不足の若手医師というところです。
大学病院の重症患者さんの状態が悪化すると、パートの病院へ行くのが遅れて夜になったり、勤務途中の夜中に大学病院からの連絡で急遽呼び戻されてしまったり、様々な無理をお願いした記憶です。
仏法僧で有名な鳳来寺山のふもとにあって、スタッフも患者さんも近所の顔見知りという感じでいつも和気あいあいとした雰囲気に包まれていました。大学病院の看護師は勉強会や研究会などで確かによく勉強しますが、自信もキャラも強くなるためか当時は婦長クラスともなると研修医からは皆恐れられていたものです。
この病院では、肝っ玉母さんのような婦長さんや年令の割りに若々しい看護師さんなどもいて、仕事の合間に出る会話はご主人やお子さんの話夕飯のメニューなどです。たまに家庭生活のうっぷん晴らし(?)からか、食事会やカラオケ飲み会があって私も飛び入りでよく参加しましたが、私にとっても大学病院での忙しく喧騒に包まれた生活の気分転換に大いになったものです。
ところで、どんな病院にでも白衣の天使のようなナースが一人はいるものです。田舎の病院には珍しく若くてとても可愛い看護師さんがいて、患者さんだけでなくスタッフからも可愛がられて人気がありました。
私が感心したのは、彼女は自分のことを鼻にかけることが全くなくて、育った環境からかどんなお年寄りにも大変優しいことでした。当時私も30歳と若かったせいか、彼女が私の外来や往診に付いてくれたり、当直が同じだった日には何となく胸がときめいたものでした。
深夜の急患で忙しくて眠れなかった当直の朝、彼女が「先生、お早うございます。昨夜は大変でしたね。お疲れ様でした。」と笑顔で医局へ朝食を持って来てくれると、全ての疲れが吹き飛んでしまう気分でした。
何年間か週に一度、岐阜から車や電車で2時間かけてこの病院へ通いましたが、美しい山々の風景と人々の心の温かさが今でも私の思い出に残っています。