毎年2月3月は、卒業入学就職のシーズンで若い患者さんでごった返します。
今年は世間では叩かれているアベノミクスの効果か、クリニック移転開院で新しくなったせいかどうか分かりませんが、例年にない忙しさです。
本日は、若い女性の上顎下顎前突症の上下歯槽骨骨切りSetback手術。ポピュラーなオトガイ骨(アゴ)下顎角(エラ)頬骨手術の頻度に比べるとそれほど多くはない手術ですが、口腔外科では歯列矯正2年後、SSRO,IVRO, Le Fortオペで1カ月近い入院が必要ですが、美容外科ではたった5時間のオペで当日帰宅、翌日から食事可能です。
このオペで難しいのは、大口蓋動脈と神経を避けながら口蓋底を切るところと、上顎下顎門歯部の咬合調整です。
麻酔の橋口先生、アシストの三輪先生お疲れ様でした。
先月の母の他界後気分が冴えないので、今夜は気分転換にサロンコンサートに出席。
当院が昨年から移転したビルのオーナー丹羽氏が趣味で知り合いの方を80名ほど招待して開くプライベートコンサートです。8Fが全フロア小コンサート会場になっており置いてあるピアノはお馴染みのSteinway&Sons。
今回はクラリネット奏者Rolf Weber氏とピアニスト都築一恵氏ご夫妻の演奏で、曲目はモーツァルトの「魔笛」に始まり僕の好きなプッチーニの「トスカ幻想曲」、ヴェルディの「椿姫幻想曲」など”クラシックの夕べ”を存分に満喫しました。
丹羽さんは現在は引退してニュージーランドで暮らしておられ、ザルツブルグ音楽祭や世界中のコンサートを回っておられるそうで悠々自適とは正にこのこと!
招待されたお礼に演奏後にブーケの花束をプレゼントして、オーナーと一緒に記念撮影。
本日はご多用の中、亡き母 小木曽矢枝子(本名 小木曽八重子)の告別式に沢山の方々のご参列と心温まるお悔やみを賜り誠に有難うございました。
また会場には多くのご供花とお供物、多数の弔電を頂き重ねてお礼申し上げます。
母は大正13年3月生まれで来月92歳直前でした。戦前戦後の激動の時代を生き、花嫁修業を兼ねて服飾デザイナーを夢見て戦前に田舎から単身上京しましたが、戦況の悪化で戻って来て結婚しました。夫を56歳で失った後は色々と苦労が多かったと思いますが、常に努力の人で「世の為人の為に」が口癖でした。若い頃は婦人会活動に専心し、地域の多くの人々からいつも頼りにされ慕われておりました。手芸や縫い物が得意で家族にも色々な物を作ってくれましたが、特にライフワークとなった飾りマッチ箱は総数8000個を数え、多くの人に差しあげたり施設に寄付したりしたことで、昨年10月に中日新聞の東濃版に大きく載せて頂きました。
晩年の母は、数々の病気との戦いでした。全身麻酔の手術4回、入退院8回と正に満身創痍でしたが、持ち前の努力で全て克服して生還してくれました。そんな中で始めた京都妙心寺の写経は、母のもう一つのライフワークとなり昨年12月に倒れる直前に5000巻を書き上げて妙心寺から表彰を受けました。
昨年12月に左内頚動脈完全閉塞で緊急入院し、現代医学の最先端の脳血管内カテーテル治療を何度も試みましたが、残念ながら回復しませんでした。2月1日午前、安らかに眠るように息を引き取りました。
多くの人から慕われ家族の皆から尊敬されて、本当に充実した幸せな人生であったと思います。
生前母と親しくお付き合いして頂いた地域の皆様、仲良くして頂いたお友達の皆様、そして本日ここにご参列の皆様、今まで母が大変にお世話になりました。母は亡くなりましたが、その魂と思い出は私達家族の心の中に永遠に生き続けることでしょう。これからも皆で力を合わせて母の遺志をついで行きたいと存じます。
どうか今後とも、今まで以上のお付き合いとご指導を宜しくお願い致します。
最後に、皆様 母小木曽八重子が今まで本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。
当院には全国から顔面骨形成術の患者さんが来られますが、殆どの方はホームページに載せた多数の切除骨が飛びぬけて大きいからとのこと。
顔面骨形成術の難しさは、口腔内アプローチまたは非常に小さな切開でのアプローチのため、どのオペも視野が狭くて操作し難いのに加えて、オペによってはオトガイ神経の存在が大きな障害になります。実際の手術では先端1㎝の骨切りは、殆ど経験と勘の世界。今回内視鏡を導入してため、先端部分をより詳細に確認出来るようになり精度が向上しましが、慣れるまでしばらくかかりそう。
麻酔の橋口先生、アシストの遠藤先生お疲れ様でした。
右端が下顎角部。骨切りデザイン線はその直前まで来てい
左のオトガイ孔と神経幹。fiber scopeの角度の問題で骨切りラインが途中で見えない
fiberscopeで骨切り先端を確認してから切った